わざわざ馬鹿を発掘しないように

今すぐソーシャルメディアのアカウントを削除すべき10の理由という本を立ち読みした。このブログはその感想でも要約でもなく、なぜ自分はSNSをやらないのか、それを読んで軽く考えたことを書いたものだ。

私は炎上もフェイクニュースもどうでもいいと思っている人間だ。なのでSNSがそれらで溢れていること自体には特にストレスを感じない。むしろ、SNSはしょせんその程度としか思っていないので、そういったものそれ自体に怒りを感じる人は一体何をSNSに期待しているのだろうか、と不思議な気持ちになる。

私が不快なのは、むしろ常に炎上や不幸なニュースを探し出して、「やれやれ」というポーズをとってしまう態度の方だ。これはSNS、私の場合はツイッターをやっていた頃の自分の態度である。

下らない炎上や不幸なニュースにSNSで言及し、社会に関心を持ったり分析している風を装って得ているものは何かというと、結局そういった不幸で自分を奮い立たせ、モチベーションを上げるということ、ただそれだけだ。

ネットとの関りが薄かった時代にはなかなか発見できなかった馬鹿や他人の不幸が、今では探そうと思えば簡単に見つけ出せてしまう。見なきゃいいものをわざわざ見つけ出して「やれやれ」というポーズを取ってまで得たい自分のポジションや、アピールしたい態度というものが確かに存在し、そのために日々ネットを漁ることが常態化する。

自分の中に、解決したい社会の問題を一つだけでもしっかり持ち、社会科学や人文科学をそうした解決に生かすこと。それが重要だ。ネットで言葉巧みに「やれやれ」と言いつつモチベーションを上げるために学問は存在していない。

ある問題に対して、本気で解決したくて関心を持っているのか、それとも自分を奮い立たせる蜜の味にすぎないのか、自分の心に正直になって判別しなくてはいけない。蜜の味を吸い続けている人間は、社会分析だの社会問題に関心が強いだのと言って自分をごまかしているだけだ。

まとめ

  • 本気で解決したい問題に専念する
  • 自分をごまかさず、炎上や不幸なニュースを通じて自分を奮い立たせている瞬間を自覚する
  • 上手に皮肉を言うために学問は存在していない

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