ワンクリックで電子書籍を買ったときに失う時間

 

年初のこの記事に、こんなことを書いた。

昨年の10月にxperiaに機種変してから、私はおサイフケータイを頻繁に使用するようになった。
これにより可愛い女性店員の手がお釣りの受け渡しの際に触れる可能性はなくなったわけだが、(以下省略)

ワンクリックで電子書籍を買うのは便利で、特に今のような寒い季節はわざわざ防寒して外に出る手間がなくなって良い。あったかい部屋でPCやスマホの前で、ぬくぬくと本が買える。だが、そこに本当の温もりがあるのかというと、ちょっと疑問だ。

思い出すのは高校時代、友人と一緒に札幌のステラプライスの旭屋書店に行った時のこと。私はサリンジャーのライ麦畑が欲しかった。当時、爆笑問題カーボーイの熱心なリスナーだった私は、太田がラジオの中で薦める作家の本ばかり読んでいて(太宰治、向田邦子、司馬遼太郎あたり)、サリンジャーもそのうちの一人であった。だが、高2の頃に夏休みの読書感想文の課題を書くために読んだサリンジャーの「ナインストーリーズ」は非常に退屈で、私は内心ライ麦畑を読みたくなかった。だが、太田光の熱心な信者であった私は、心理学でいうところのモデリング状態に陥っていて、太田が良いというものは何でも良いと考えようとしていた。

そんなこんなで旭屋書店でライ麦畑を探していたのだが、なかなかそれが見つからない。今でこそ村上春樹訳のものが出版されており、比較的簡単に発見できるが、当時(2005年ころ)は野崎訳のものくらいしかなかったので、見つけにくかった。書店をうろうろしていたら、隣にいた友人がしびれを切らして店員に直接聞いて、本を見つけ出してくれた。ほんと、あっという間の出来事だった。彼はついでにレジにまで行き、会計まで済ませてくれた。

それは非常にありがたかったのだが、その瞬間、私の中でライ麦畑が急にどうでも良いもののように思えた。案の定、私はライ麦畑にしばらく手をつけず、読んだのは数か月後くらいだった。もちろん、それは非常に退屈で、くそつまらない本だった。たぶん、私の頭が悪いのだろう。そう、思うことにしている。

当時の私にとって、ライ麦畑なんて実はどうでもよかった。そんなことより、ライ麦畑を買う系の高校生として本屋に行って、本を探して、本を買うまでのその過程・時間・自分が何より好きなだけだった。今、振り返るとね。

それはある種の虚栄心というか、つまらない見栄に過ぎないわけだが、本と人との関わりを考えるうえで、ものすごく大切な要素の一部なのではないかと最近考えるようになっている。

電子書籍は本を買うまでの時間を大幅に短縮させた。買いに行く手間が減った分、「読むこと」の時間は増えたのかもしれない。だが、書店に行き、可愛い女性店員の前でピケティの「21世紀の資本」をドヤ顔で買って満足すること、よく分からない美術書を気取った感じで立ち読みする快感、などなど色々失っている時間があるのも確かだ。

合理的な人からすれば、そんな時間が無駄で、気持ち悪く見えるのは分かっている。だが、世の中みんながみんな、本の中身が好きで本屋に行っているわけではない気がするのだ。少なくとも、一人(私)はある種のファッションというか、ディズニーランドへGo的な感覚で本屋に行っている人がいるということを知ってほしい。

書店に行くまでの時間、立ち読みしている時間、店員に本を差し出すその瞬間、買い終わって喫茶店に行き、照れながら分厚い本を開くその瞬間。すべて含めて本と人との関わり方であり、それは大人が唯一得ることのできる、本の付録であるような、そんな気がするのだ。

さて、皆さんはワンクリックで購入によって得た「読む時間」を有効活用できているだろうか?今一度、紙の本を買う過程で獲得する時に思いをはせてみるのも悪くないのでは?

 

 

この記事の感想を教えてください。
  • 好き (0)
  • なるほど (0)
  • もう少し掘り下げた記事を読みたい (0)

感想待っています。コメントしてね