twitterに長文を連投したくなる理由

 

たまにtwitterに長文を連投している人を目にする。

ブログをやっている私からすれば、

  • PVとしてどの程度読まれたか可視化されない
  • 記事のストックにならない
  • アフィにならない
  • 誤字脱字の訂正が出来ないので面倒

にも拘らず、twitterに自説を長々と連投する意味が分からない。

彼らはなぜ、twitterに長文を連投するのか?

理由1 責任から逃れたいから

ブログに何かを書くのは、twitterでつぶやくのに比べて責任が重い。twitterであれば、「これは単なるつぶやきだから」と言い訳できる色々が、ブログではそうはいかないことが多々ある。

政治、思想、宗教、何でもよいが、twitterなら「ちょっと口が滑っちゃった」で済むようなことが、ブログになるとそうはいかない。読む側も、twitterであれば軽い気持ちで書いたんだろうなと察すれることが、ブログになると「ある程度考えがまとまったうえで書かれている文」と見なすので、読むのに根気がいるし、自分の価値観が揺さぶられる内容であればあるほどに、軽い気持ちでコメント出来なくなる。

twitterは最後に「これは単なるつぶやきだから」という逃げ道が用意されているからこそ、誰でも容易にセンシティブな内容が投稿できる。ブログはそうはいかない。まとまった文章を書くのが基本で、長ければ長いほどに「つぶやきだから」に逃避できなくなり、責任が増す。だからこそ、最初から「今日買ったもの」「食べたもの」程度の内容に留めたものが思いのほか多いのだ。

理由2 誰かが読んでいるという妄想がしやすい

twitterは「誰かがどこかで自分の投稿を読んでくれているかもしれない」という妄想がしやすいツールだ。フォロワーが何人かいれば、自分が流した投稿を、誰かがきっと読んでいると想像しやすい。フォロワーがゼロであっても、誰かがyahooリアルタイム検索で読んでいるかもしれないと想像できる。

対して、ブログは誰がどの程度読んだか、PVという形で明確になる。Analyticsオプトアウトアドオン等で解析できない場合もあるが、例えばこのwordpressであれば色んなプラグインでAnalytics以外の解析ツールも導入できるので、PVが結構はっきりわかる。

開設当初のブログであれば、PV5なんてこともざらだ。誰が、どの程度読んでいるかが明確なので、「誰かが自分の言葉を読んでいる」という妄想が出来ない。これはかなり辛いことだ。やれば分かる。

twitterに長文を連投する人は、「誰かが読んでいるだろう」という妄想のおかげで飽きることなく投稿できるのだろう。「ブログってどうしたら続けられるの?」という悩みが溢れかえっているのは、この「架空の読者」の想定のしにくさに所以しているとさえ言えそうだ。

まとめ

「長文失礼」という謎の謝罪文化はいまだに理解できない私だが、twitterでいくら長文で論を展開しても読みにくいだけでなので、何かセンシティブなことで言いたいことがある人はブログに書いたほうがよいと思う。

 

 

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