自己責任論者を引き合いに出しても何も始まらない

中東の過激派組織が日本人2名を人質にとるという何とも恐ろしい事件が発生した。それに対して、「危険な場所に自分で望んで行ったのだから、どうなろうと自己責任でしょ」と主張する人がいるらしい。

こうした所謂「自己責任論」に対する反論はすでに多くの論客がしているところで、ざっと調べただけでこれだけ出てくる。

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どの論客も、「多くの人たちの間で、自己責任論が叫ばれている」という前提から論を展開し、いかに自己責任論が愚かで間違った発想であるかを指摘しているわけであるが、そもそもの「自己責任論を叫んでいる人達」っていったいどこにいるのか、その存在が疑わしいのだ。

まさかyahooリアルタイム検索で出てくるtwitter民や、2ch、ヤフコメ民、はてぶ民が「自己責任」と書き込んでいるのを持ってして、「自己責任論を叫んでいる人が沢山いる」と判断していることはないと思うが、どうなのだろうか?

私が今回明らかにしたいのは、統計や数字を持ち出して「実際に自己責任論を叫んでいる人は何%います」とか、そんなことではない。そりゃ、自己責任だと考える人間は一定数いるだろうし、世の中からそういった発想をする人間を完全になくすために何かしよ~となったら、そっちのほうが危険だろうから、もうそれはそれでいいのだ。

私が今回の件で考えてしまったのは、「自己責任か、どうか」という切り口がこんなにもテロについて考察する際に使われてしまうことの意味だ。今回の過激派組織がどういった主張をしていて、過去にどんな事件を起こしてきたか、国際社会はこういった場合、どういった対応をしてきたか、などなど。そうした事例や歴史を、国際政治学の学問的蓄積に上手く照らし合わせながら考察していき、問題に対する理解を深めていく。そうした具体的なアプローチこそ重要であり、どこの馬の骨とも分からない、存在自体が疑わしい「自己責任論者」を引き合いに出して論破しても、それは一瞬「スッキリ」する程度で、その後何かイスラムや、国際社会について考えるきっかけとはならない。

今回のような事件が、「自己責任」という切り口で論じられるケースが散見されるという事実が物語っているのは、具体的に事件を考察することよりも、「自己責任論者を批判して取りあえずスッキリしたい」という潜在的需要の存在ではなかろうか。

なるほど、中東の国際政治やイスラムについて具体的な事実関係を把握するのは、結構面倒な作業だ。恥ずかしながら、私もまったくその辺については明るくない。だが、取りあえず「自己責任か、どうか」というアプローチなら、何か言えそうだし、適当に呟けそうだ。

仮に自己責任論者で溢れかえっているとすれば、それは多くの場合悪意ある人間たちによるものではなく、問題に対して無関心、もしくは勉強不足な人たちが、何とか自分なりに言葉を発した結果にすぎない。おそらく、そこに深い意味はない。

今色んな論客が相手にしている「自己責任論者」とは、その程度の存在でしかない。で、その論客たちを支持する人達の関心も、おそらく多くの場合「バカな自己責任論者」を批判して、取りあえずスッキリしたいという、その程度ではないだろうか。

平和な日本の海岸を歩いていたら、拉致されて、異国で何十年も生活することになってしまった。そんな人が、実際にいる。彼らに対して、自己責任と言う人は存在しない。「自己責任論」は論点たりえない。じゃあ、我々はどれだけ北朝鮮の拉致問題について、国際政治学的に具体的に語れるだろうか?私は語る自信がない。具体的に問題を調べ、分析するという行為はそれなりに大変なのだ。

今回の件に関しても、少しでも多くの専門家の論文や本を読み、具体的な知識を増やしていく努力をしなければ、いつまでたっても自己責任論界隈で足踏みし続けることになる。何年も、何年も。私はちょっと愕然としてしまった。

「また自己責任論か」

と、この事件を知って「自己責任論」から思いをめぐらした、自分自身に。10年ちょっと前の自分に比べて、あなたはどの程度イスラムや国際政治について、詳しくなっただろうか?

 

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