夕日はオレンジ色でなければいけないのか?

先週、市ヶ谷の橋の上で夕日の写真を撮った。愛用のlumix g6を使って。

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何十枚か、撮影モードを変えながら撮ったので色々な絵になった。

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夕日の形をはっきり表現するのも一つの技術なのだな、とこんな写真を撮って考えたり。

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頑張って丸っぽくしようとしてこうなったり。

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夕日らしく、よりオレンジを際立たたせようとしてこうなったり。

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まったく同じ場所で、ほとんど同じ時間に撮影しているのに、シャッタースピードや撮影モードを変えるだけで、こんなにも違う夕日が撮れてしまうというのが面白い。

で、考えたのが、

「夕日って、オレンジ色でなければいけないのか?」

ということ。

撮影モードの変更で、こんなにも色んな夕日が撮れるのに、なぜ殆ど多くの人が撮る夕日は、決まってオレンジ色の夕日なのだろうか?

「だって、人間の目でありのままに夕日を見たら、オレンジ色でしょ。写真は人間の目に見えるような、そのままの景色を残すのが役目なのだから、変な効果をつけないで、オレンジ色に撮るのが当たり前じゃないか」

こんなことを書くと、そんな言葉が聞こえてきそうだ。

実際、市ヶ谷の橋の上から見た夕日は、確かにオレンジ色だった。そして、地元の北海道にいたときに見た夕日も、オレンジ色だった。大抵、夕日はオレンジ色に見えるようになっている。

スライドショーには JavaScript が必要です。

上のスライドショーのどちらがより、夕日らしいだろうか?たぶん、殆どの人がオレンジ色に撮れているほうを、夕日だと言うだろう。黄色っぽい方は、なんだか日の出っていう感じに見える。

だが、カメラの色んな機能を使えば、我々がいつも見ているのとは違う夕日を撮ることが可能だ。

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たぶん、何十年も、何百年も前の人間が見てきたのとは違う色の夕日を、我々は技術の進歩のおかげで、カメラを通して見ることが可能になった。

にもかかわらず、殆ど多くの人が、この技術の進歩によって新しく生み出された夕日を「作為」だとして退け、忠実に、いつものオレンジ色をした夕日を撮ろうとする。そして、それを見ようとする。

だが、それで本当に良いのだろうか?しばしば写真系のSNSのルールとして掲げられる、

「加工した場合は、その旨を記すこと」

そんな文言。ありのままの風景を、忠実に写し出すことが写真の役割だ、という押しつけがましさがそこからは感じられる。

だが、写真は本来そんなものではないと、私は考えている。

フィルター加工したような写真であっても、それをその場で使いたいという撮影者の気持ち、そしてさまざまな写真の中から、あえてそれを選択して公開した撮影者の気持ち。そうした撮る側の感情が入り乱れてこそ、写真は単なる現実の写し鏡から脱し、芸術となる。

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あなたは、写真とこれからどう向き合いたいだろうか?

私は、それを現実の忠実なしもべとしてではなく、自分の感情と自然の結晶として捉えたい。

それが、写真家Soichiroのスタイルなのだ。

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